PC-8800シリーズについて
PC-8800シリーズ初代機であるPC-8801は、1981年(昭和56年)に発売された。PC-8801販売以前から販売されていたPC-8001の上位互換機種であり、互換性を重視したその設計により周辺機器やソフトウェア資産をそのまま使用できる。もともとビジネス向けのマシンであったがホビー層にも受け、数多くのゲームが販売された。
時代も進み、PC-9800シリーズが日本のパソコン市場を占領するようになると、PC-8800シリーズはホビー用途としての役目も98に託し、市場から姿を消した。
所有機紹介:PC-8801mkIISR
PC-8801mkIISRは1985年に登場したマシン。よりホビーマシンとして洗練され、市場に投入された。グラフィックは640×200ドット/512色中8色のアナログRGBに強化され、V2モードにすることで使用できた。サウンドはヤマハ製音源チップYM2203を搭載、FM音源3音+SSG3音のサウンド機能を標準装備し、ビープ音のみだった旧機種から表現力が大幅に向上している。廉価品としてPC-8801mkIIFR及びMRが発売された。注目すべき点はSR以降に販売されたマシンがほぼ新しい機能が追加されておらず、完全互換を徹底した姿勢にあるだろう。パソコンにとって、資産をそのまま使うことができるというのは大きな強みである。その徹底した互換性で数多くのユーザーを様々な機種で獲得することに成功したのも興味深い。
話は変わるが、父は屋根裏にあったFRでパソ通をしていたようだ。自分もしばらくはFRを使っていたのだが、大須でSRを入手したので用済みになってしまった。
SRとFRの違い
前項で廉価品について述べたが、SRとFRを比較してみよう。FRは廉価品であるため、当然コストダウンを図りいくつかの機能が省かれている。背面パネルに注目すると、その違いが見えてくる。
まず目につくのは拡張スロットだろう。SRは拡張スロットを3つ装備しているのだが、FRではこれが一つに削減されている。ぶっちゃけ自分は漢字ROMくらいしか挿さないので、そこまで気にしなかったが。サウンドボード2(PC-8801-23)を刺すのが一般的らしい。
それからデジタルモノクロ出力の削減も見られる。その昔、カラーのモニターというのは大変高価であり、モノクロモニターを使用するユーザーも少なくなかったという。ライトペンを使用する際にも使うらしい。(ライトペンを目にしたことはないけども)
そしてNモードの(スイッチ)削除、これも削減されたものの一つだ。ぶっちゃけ、物理的なスイッチが省かれているだけなので、[NEW ON 1]でコネコネすれば動く。なんだこのテキトーな機能削減は...。
PC-8800シリーズの思い出
思い出、と言ってもPC-88と出会ったのは高専一年生(2018年)のことなので、30年前のパソコン少年に比べれば、浅い思い出しかない。それでもいいという人は、読んでいってくれると嬉しい。
88との出会い
事の発端は、父の実家の屋根裏探検だった。父が「屋根裏に昔使っていたPCがある」と言っていたので、真相を突き止めるべくワクワクしながら突入した。そこに広がっていた光景が、下の写真である。
なんだこれは、たまげたなぁ...。とりあえず目についたPC-8801mkIISRを持ち帰ることにした。どれくらいの間屋根裏に居たのだろうか、汚れ、日焼けですっかりボロボロになっていた。
そのへんにあったモニターを繋ぎ、電源を入れてみると...起動した!動けばなんとかなる、ホッとした瞬間だった。
とりあえず、一緒に持ち帰ったディスクを入れてみる。
ガーッというけたたましい音と主に、プログラムがスタートした。どうやらCG集(当時そう呼んでいたかは知らない)だったらしい。スペースを押すと、これ以上は何も言うまい。
次は「ヴァリス」と書かれた二枚組のディスクを入れてみる。おお、読み込んだ。日本テレネットというメーカー。当時は大手だったらしい。早速ゲームを開始...と思ったところでトラブルが発生。確かにドライブ2にディスクBを入れているのに、「ディスクBを入れてください」と表示される。読み込み音もしない。アクセスランプは点灯しているのに...。これは、間違いなく故障だろう。交換か修理が必要だが、修理の知識なんてないし、PC-88のドライブも近所では手に入らない。仕方がないので、いつか機会が巡ってくるまでドライブ2の修理は保留となった。
大須遠征
2019年12月、所用で名古屋へ行くことになったのだが、このときあることを思い出した。名古屋市内にある大須という街である。ネットにあるジャンクパソコンの記事や動画で、このという街の名前をよく目にした。この街が名古屋にあることを知り、PC-88のパーツを求めてついでに寄ってみることにした。